タユタウクラゲ

超マイペース自堕落人間が日常についてたまーに呟きます

はじめに

はじめまして。まずはこのブログに足を運んでくださいましてありがとうございます。ゆたと申します。

 

あまりにも自分の日常が何もなく過ぎていくため、何かあった時の備忘録としてブログを始めました。

 

※私の性格上、鬱要素が多くなる可能性があるので、そこだけご注意ください。

なつやすみ

今年もやって参りました夏休み。

 

毎年なにもできずに家でゴロゴロして終わってしまうので、今年はなんでもいいから取り組んでみようと思い、いざ、夏休みに入ったら、ここまで例年通りなにもできていません。

 

そもそもなにをすればいいんだ...?

 

「何かをする」の「何か」が思いつきません。

 

なので、このブログの目的通り、備忘録的な感じで思いついたことをつらつらと並べていきたいと思います。

 

資格勉強・・・無難。

読書・・・まず読む本を探すところから。

旅行・・・そもそもご時世的にいけるのか..?

 

......これしか思いつかないorz

 

あまりにも自分の中の引き出しが少ないことに書きながら驚いています。

 

いや、いっそこの3つしか無いなら全てできるのでは....?旅行はできなくともちょっと県外の水族館くらいならいけるのでは...?

 

ということで、今年の夏休みはこの3つを目標に過ごしたいと思います。

 

ではまた、夏休み明けにご報告しに参ります!

見てくれてありがとうございました!

くらげのおいたち

突然ですが私、中学1年生の夏休み明けから卒業まで、中学3年間不登校(厳密にいうと別室登校)でした。

おそらく皆さんが想像する不登校とは、学校でいじめられて行けなくなったり、病気で体が弱くて通えない、と言った理由だと思いますが

私はたった1日、ズル休みをしただけでした。

そう。たった1日だけです。それだけで不登校になりました。

その当時は「〇〇くんにからかわれて」と説明していましたが、今考えるとそれは全体の1%にも満たないことを大袈裟に言って、もっともらしい理由をつけていただけでした。

思い返すと私は、幼い頃から、波風を立てず、周りに敵を作らないように保身を第一優先に考え、なおかつプライドは高く、親しい人の前では好き勝手やるというとんでもない性格をしています。

その性格のおかげ(?)か幼少期は「手のかからない子だ」と周りの大人から褒められ、当時高校生だった姉と2人でテーマパークに行っても、姉に「ここで待っててね」と言われれば一歩も動かずじっと姉を待っている、そんな子供でした。これも今思えば「姉の言うことを聞いている」のではなく、「迷子になったら自分が困るから」という理由な気がします。

小学生になってもその性格は収まるどころか悪化し、外面を良く見せるために勉強をしていたため、周りの子よりも少しだけ勉強ができたことも相まって、ほとんど勉強をせず毎日遊び呆けていました。

そんな生活が続いた小学5年生の時、ついに今まで遊んでいたツケが回ってきます。それは、算数のクラスで今まで行ったことのなかった下位クラスに落ちたことです。ここで変われていれば何かあったのかもしれません。

しかし私は何も変わらず、むしろ下位クラスになってからは授業の内容すら理解しようとしない始末。しかし算数以外の教科は平均より上。この時の私はまだ根拠のない余裕を持っていました。「算数が苦手なだけ」「他の教科は大丈夫だし」「通知表は全部普通以上だ」この考えのまま、小学校を卒業してしまいました。

そして時は中学校へ。

ここでもまた入学後最初のテストでは平均以上の成績を残します。思えばここが最後のストッパーだったのかもしれません。ここで自信を持って勉強をしていたら.....

その後のテストでは散々な結果に。詳しくは覚えていませんが、確かほとんどのテストで平均以下だったはずです。

前述した通り、私は波風を立たさないことをいつでも気にしており、いじられキャラなんかには絶対にならない、そう強く思っていました。

今でも覚えています。技術のテストで13点をとって、クラスの明るい子と2人でクラス最低点だったこと。それを先生が(具体名は出してないけど)返却の際にみんなの前で話したこと。

その明るい子はすぐに自虐しながら「俺と同じ点数のやつ誰?w」と探し始め、みんなが用紙を見せながら「俺じゃねぇよw」と笑いながら話している中、「こっちくるなこっちくるなこっちくるな」と一生懸命祈りながらテスト用紙を必死に隠していた私の、もうバレていると分かっていながらそれでも足掻こうとする惨めさと目の前にある13点というテスト用紙が、私のプライドを完全にへし折りました。

その出来事の後、クラスでは特にその出来事に関して触れられることもなく、ただ淡々と時間が過ぎていきました。

その淡々と過ぎていく中でも、私はどんな授業でもついて行けていない自分に絶望していました。英数国社理はもちろん、体育もマット体操に苦戦し、美術まで私だけ提出期限ぎりぎりになってもまだ終わらないという状況に陥っていました。

しかし私は目の前に蜜があるなら、それまではなんとしてでも行くという人間のため、夏休みまではなんとか通うことができました。

夏休みに何をしていたかは何も覚えていません。多分、毎日ゲームをして、目の前にある宿題という現実から目を背けていたと思います。

しかし夏休みはあっという間に終わります。手をつけていないのだから当然、夏休みの宿題はなにも終わっていません。私は毎年のように最終日に全てやり、終わらなかったら何かと理由をつけて提出期限を伸ばす、という手口を使っていました。今回もその手口を使い、なんとか宿題という関門は突破しました。しかし、夏休み明けにはテストがあります。そして、この夏休み明けの理科のテストが、私の不登校の1番の理由になりました。

テストの内容自体は、夏休みの宿題の復習という、きちんと宿題をやっている子からしたら簡単なものでしたが、私は当然答えを写しただけのため、赤点をとりました。夏休み前の期末テストから、続けて赤点を取ったためか、先生から補習に来なさいと言われます。その理科の先生は、女性の先生でしたが、学年主任を任されるようなきちんとした先生で、みんなからも恐れられている先生でした。そんな先生に呼ばれた、しかも補習にいったら、みんなに赤点を取ったことがバレると、ここでもプライドの高さが発揮されます。

そこで私は、仮病で休むことにしました。幸いにも(?)私は、それまで休んだことはほとんどなく、ズル休みもしたことはなかったため、母親に「体調悪くて、今日休みたい」と言ったら、簡単に休むことができました。

その1日は、私にとってとんでもなく有意義なものでした。朝眠い目を擦らないでいい、「次はこの授業か」と肩を落とさないでいい、いつ友達に指を刺されるかとビクビクしないでいい、とプラスのことはなくてもマイナスのことが何もないだけで幸せな1日でした。

そんな1日を味わった結果、悪い癖がついてしまいました。サボり癖です。そうです。私の不登校の理由はこのサボり癖なのです。

この癖に私は今でも悩まされています。あの時休んでいなかったら、小学生から勉強していれば、大人に好かれるだけでなく頼ればよかった、と今後悔してもしきれません。

と、長くなってしまった&クソ重い話&殴り書きだからグダグダと酷いことになっていますが、私と同じような境遇、性格の方がもしこの文章を読んでいましたら、これだけは伝えておきたいです。

後から癖を直すのは本当に難しいです。

たった1日だけ、と思うかもしれませんが、恐らくその1日の幸福度、みたいなものが高過ぎたのでしょう。そもそもそんな状態になっている時点で、休んでいなくてもいずれ不登校になっていたかもしれませんが。

そんな生い立ちでした。